C【第5回】日本のピンク-桜
-ちょっと“色”から離れて、桜のお話-
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平朝臣)
世の中に一切、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに、という意味。
特に昨年はとてもお花見気分ではなかったですから、「今年こそは!」と待ち構えていた方も多かったのではないでしょうか?
それなのに、開花時期が遅れ、桜が咲く直前に急に冷え込んだり、本当にやきもきしました。
こんなに人の心を波立たせるのも、桜だからではないでしょうか?
先日、東京国立博物館で、「博物館でお花見を」といった特別展をやっていました。
さくらを扱った絵画、小袖、焼き物など、“桜”というテーマで切り取って眺めてみるという内容でしたが、改めて日本人と桜は切っても切れない関係であるのだなと感じます。
そして、こちらの写真は、4月2日に靖国神社で行われた夜桜能の写真。
もちろん、公演内容は写真撮影禁止ですので、始まる前のほんの一コマの写真です。
靖国神社で行われている夜桜能は、東京最古の木造能楽堂のもと、能・狂言を、野外で、夜桜の下に楽しもうという趣旨のもとで毎年開催されている公演です。
昨年はちょうど20周年記念ということで、とても楽しみにしていましたが、やはり大震災の影響で中止。
その復活公演ということもあり、今回の公演では、能は「石橋」、狂言は、「末広がり」といった、ともにおめでたい演目が行われました。
当日は、まだ桜は満開ではありませんでしたが、夜桜のもと舞われる能や狂言は、とても幽玄の世界で、日本人で良かったと思わずにはいられません。
そんな興奮も冷めやらず、自分でも活けてみたのがこちらの桜です。
主に使ったのは、彼岸桜と啓翁桜、そして山吹です。
桜の花言葉は、
精神美、純潔、高尚、神秘
だそうです。
ただ、桜には、夜桜能のように、きれいなだけでは割り切れない、凄みや狂気のようなものを感じます。
どちらかというと、坂口安吾の「桜の森の満開の下」や、梶井基次郎の「桜の樹の下には」のようなイメージです。
特に、梶井基次郎の「桜の樹の下には」の出だしの部分
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」
-梶井基次郎の「桜の樹の下には」より
は、私にとってとても印象的で、桜の咲くころになるとこのフレーズが思い浮かびます。
なので、ちょっとお遊び。昼間活けた桜と、曽我蕭白の雲龍図を合わせてみました。
曽我蕭白の雲龍図の絵は、先日、行ってきた東京国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝展」でおみやげに購入した“はがき”から。
このはがきをデジタルカメラで撮影し、プロジェクターで大画面に投影して、桜と一緒に並べてみました。
プロジェクターの画像が、現代版の屏風といったところでしょうか?
曽我蕭白は、はっきり言えば、私は嫌いなのですが、桜と合わせると面白いかな—?
同じやり方で、尾形光琳の「松島図屏風」でも遊んでみました。
プロジェクターなので、桜の影がスクリーンに映るのも、自分としては面白く、新しいおもちゃを発見した気分でした。
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